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ごあいさつ

 東日本大震災で、国の支援が遅れる中、宮城県・牡鹿(おしか)半島では、半島の地理的なハンデキャップで支援が受けづらい現実に直面。各集落の人口が少なく、また顔の見える支援が可能な事を鑑み、“縁”を結び牡鹿半島の集落を支援することになりました。
 この半島の集落が復興された暁には、東日本の復興がなされたときと信じ仲間を集い、2011 年7 月26 日「牡鹿半島を支援する会」をここに発足。牡鹿半島に“絆”を結び、東日本大震災の復興にむけ、被災地の皆さまと『力をあわせてのり越えていく』所存です。
                     
牡鹿半島を支援する会 会長 豊泉 喜一


発起人: 豊泉喜一、加藤良重、鈴木栄三郎、北澤 明、坂下香澄、
    村田訓男、石見喜三郎、竹内明美、前田芳弘、五天英晴
(2011年7月26日)
お問合せ tachikawamirai@me.com
広報担当 北澤 宛
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最後のわかめ収穫ボランティア実施のお知らせ [ボランティア募集]

 2011(H23)7.26から牡鹿半島の皆様を支援して六年半になります。これも皆様方の心温まる叱咤激励のお蔭と心よりお礼申し上げます。
 さて、私の健康上(昨年の11月21日に上行結腸癌で腸を20cm切除、現在、月二回の抗がん剤の投与中です)の都合で今回のわかめ収穫ボランティアを最後に「牡鹿半島を支援する会」の活動を終えさせて頂きます。やり残した事は多くありますが思い出の多い小渕浜のわかめ収穫ボランティアを下記の通り実施して奉仕活動を締め括りたいと思います。お仲間を誘ってご参加下さい。一緒に最後を楽しみましょう。
               記
実施月日     一回目 3月21日(水)~23日(金)
         二回目 4月18日(水)~20日(金)
出発日時・場所  一回目 3月21日(水)
          7:30 日野・高幡不動駅スーパー「おおた」向い
          8:00 立川・多摩信用金庫本店横
         二回目 4月18日(水)  一回目と同じ
申込締切日&人数 2月26日(月)  各回先着25名  
費用       27,000円
宿泊処      割烹民宿「目黒」 石巻市小渕浜カント2-1  0225-46-2515
お願い、他
1.参加の方は氏名、住所、生年月日、性別、電話番号
2.参加の方で希望の作業先漁師の有る方はお知らせ下さい。
3.各回、地元の人を交えてお別れパーティーを行います。
2018.1.27
牡鹿半島を支援する会 会長 豊泉喜一
           事務局長 石見喜三郎
t/f  042-537-3238、090-9104-0928  
e-mail  k6.iwami@agate.plala.or.jp
〒190-0001 立川市若葉町4-25-1-29-103
 


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私の東日本大震災覚書=其の80(2018.2.26~3.1) 2017.3.3 [私の東日本大震災支援覚書]

 二ヶ月半振りの牡鹿半島。現地の人からは温かくなってから来れば良いと言われたが決めおく事が数件あり、顔を見たい人が数人いるので牡鹿へ行く。前回が二泊三日、今回が三泊四日と滞在日数が少ないので大忙し。此れも抗がん剤治療の間を縫ってのことなので致し方なし。
 一月末に植樹が終わっていた女川魚市場のサザンカ12本、キンモクセイ2、エゴノキ2、ヤマボウシ、イワハモミジ、シラカシ各1を初めて見て、木の名札の設置を追加要求して支払い金額を決め、支払いをする。
 次の植樹は私が活動の拠点にしてきた小渕浜である。小渕浜も高台への住宅の移転が90%は終わり、やっと植樹が出来る段階に来た。其の具体的な打ち合わせメンバーの選定を地元の知り合いにお願いしたが、4月に新役員が決まるのでその後が良いだろうとなる。今年中には植樹を終わらせたいと考えている。
 
 震災の翌年(2012)から毎年3,4月に一回ずつ行ってきたわかめの収穫ボランティアは七年にも成り、私の健康のことも有り今年で集団で行くのは最後にするので其の打ち合わせをする。因みに、私が声掛けをして東京からのボランティアは約300名、コーディネートした人が100名位いると思う。
 ボランティアバスツアーは3月が3/21~23、4月が4/18~20、費用は27,000円です。ご希望の方は未だバスの席に空きが有りますのでお申し出ください。
 3/1、15:30~19:30、NHK仙台放送局で「春風亭昇太のレコード道楽@仙台」昇太さんと六角精児さんがアナログレコードを掛けながらのトークショウです。突風の影響と乗客の身体異常で新幹線が40分以上遅れ帰宅が12時を少し超していました。でも楽しいトークショウでした。
癌闘病記=2
 5回目の治療が3/6~9。幸い今のところ副作用は有りません。使っている薬剤は劇薬なんでしょう。点滴をしてくれる若くて可愛い看護師はビニールのエプロンとゴーグルを付けています。目に入ったり、皮膚に着いたら大変な異常を起こすからだと言っています。そんな強い薬を一時間に12cc、精巧な点滴ポンプで2日間掛けて点滴します。これを月に2回、義務付けられています。此れも生きるためには仕方ありません。抗がん剤治療を拒否する人もいるそうですが小生には無理です。酒を止めている以外は以前と変わり有りません。


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私の東日本大震災覚書=其の79(2017.12.12~14)  2017.12.28 [私の東日本大震災支援覚書]

 新設の女川魚市場に植樹をする打ち合わせを魚市場の専務、造園業者とする為、女川町行きを強行する。費用以外は順調に進む。此れからは費用集めに精を出さなければならない。植樹完了は来年の2、3月を予定している。
 震災後、6年8ヶ月が過ぎました。此れまで皆さんのご支援のお蔭で牡鹿半島の被災者の方々に物資の提供やわかめの収穫作業の手伝い等々で支援活度をしてきました。ここで、金銭的なことを一寸、現時点で支出金額累計が三千百万円を超しましたが、形として残っているものは全く有りません。収入金額累計が三千二百万円、そのうちに心温まる寄付金が六百五十万円もあります。ご寄付頂いた方々に心よりお礼申し上げます。他はわかめの販売による差益です。これからもわかめの販売が活動資金捻出の要、続けますのでご協力下さい。、
 親友の数人から11月の覚書が届かないがとの指摘が有り、何の足しにもならない私の日記替わりの覚書を読んでくれてる人がいたんだと嬉しく思った。
 発信できなかった事実を簡単にお知らせします。
 私、10月21日に上行結腸癌の手術で大腸を20cm位切除しました。その時点で肺、肝臓に転移が判っていて、一回目の抗がん剤治療を12/18~24に終えました。人間の質は悪くないと思っていたのに癌の質は悪いらしく担当医師からはステージ4と厳しい宣告を受けている。。でもねェ、こんな時は私の馬鹿さ加減が威力を発する時、「癌なぞなにするものぞ、病は気から」と今まで通りの生活を続けています。今のところ抗がん剤による副作用は全くありません。
 余命宣告付きの生命管理ポスト入りの人間ですが元気一杯です。依然と同様にお付き合いください。此れからは月報に添えて癌の進行状況を追加報告させてもらいます。酒も少々なら飲めます。大酒を飲む度胸は未だ有りませんが。
 私は2013.10に前立腺がんの摘出手術を受けてますが今回の癌は前立腺がんの転移では無いそうです。前立腺がんの時もそうでしたが今回も自覚症状は全く在りません。皆様も充分にご留意下さい。と言っても自覚症状が無いのだから自衛の策は有りません。有るとしたら癌の宣告を受けた時に気丈に受け入れる精神力と体力を鍛えておくことしか無いようです。私は充分な高齢者、諦めもつきますが若い人の癌は気の毒です。


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私の東日本大震災覚書=其の78(2017.10.9~14)  2017.10.31 [私の東日本大震災支援覚書]

 今年の秋刀魚も厳しいいと言う予想は当たっていて今のところ漁獲量は昨年より大幅の減量、魚の型も小さく、逆に、魚価は昨年の数割高値の状態が現状です。原因は大気汚染による海水温の上昇とか、台湾、中国等の外国船による乱獲など色々あるようです。
 
 秋刀魚の町、女川は銀鮭、秋刀魚、カツオが漁獲の三本柱、その秋刀魚が思わしくなく関係者はこれからの秋刀魚に祈りを込めて大いに期待している。秋刀魚の不漁は女川町の仲買人には頭の痛いどころか死活問題である。船主は笑顔、それ以外は渋い顔の女川の町である。秋刀魚は町の財政をも左右する存在。
 私は連日、朝の5時位から秋刀魚の水揚げ作業を見学していたがその威勢のよさは市場独特のもので私は好きである。その女川の魚市場の敷地に桜を十数本植樹して数年後に花見を楽しんで貰おうと計画している。私達の出来る支援はそんなことしか出来ない。
 宮城県の牡蛎は先月29日から出荷され出した。出荷当初は出荷価格は大した値ではなかったが私が東京へ帰るころ(10/12前後)には今までにない高値になり漁師さんは仕事に精を出していた。昨年の暮れは最需要期にノロウイルスが発生して酷い目に合ったので本当に良かった思いである。私は自然のバランスの良さを感じた。
 今迄触れなかったことを恥じるが、復興に目途が付き出した2,3年前から海岸沿いに高さ6~7mの防潮堤が建設されている。この防潮堤は現地の漁師は勿論、住人の大多数があんなもの本当に要るのかと評判が悪い。あんなもの中央の役人が生活者の意見を良く聞かずに期限ありき、結論有りきの産物だと散々である。海で漁をする漁師さんは刻々の海の変化が見れ無いと怒り、一般の住人は車を走らせていても海が見えず、圧迫感を感じながらの運転になると怒っている。そんな評判の悪い防潮堤建設に貴重な税金が多額、使われている。オーバーな言い方をすれば三陸海岸の数割を防潮堤で繋ぐ工事が今も続いている。防潮堤の総延長距離はどれだけに成るのであろうか。


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私の東日本大震災覚書=其の77(2017.9.19~24)  2017.10.1 [私の東日本大震災支援覚書]

 今月は36日振りの牡鹿半島行きとなっつた。こんなに間隔の空くことは無かったと思う。9,10月は秋祭り等のイベントが多く、其処で活動資金を稼ぐ為、わかめ、茎わかめ、小女子、ヒジキ、秋刀魚の佃煮、クジラの缶詰等を売るので牡鹿半島の滞在日数が少なくなり今月は6日間と成ってしまった。
 私一人でも出来るお年寄りを病院や商店へ送り迎えをしていますが、その人のうちの二人が既に亡くなり、3年近く週3回透析病院へ送迎していた84才のお婆さんも体調が衰えだし家族の送迎を希望するようになり私の送迎の仕事は終わりそうです。急いで新しい送迎希望者を探さなければなりませ。ボランティアの仕事も待っていてはありません。アクティブに自分からノックしなければドアは開きません。一生懸命探します。
 愚痴を一つ。私の活動の拠点地・小渕浜も震災後6年半が過ぎてやっと復興住宅が出来上がり移り住んでいます。復興住宅は山を切り開いた所に建っているので初めて訪ねる人には分かりづらいので県道からの入り口に道案内の石柱製道標を寄贈しようと考え区長、役所へ3か月も前にその旨を話しているが建立地の地権者がどうだとかこうだとかで全く進んでない。私をペテン師とでも思っているんだろか。寄贈だと言っているのに 東京の石材屋さんにお願いして奉仕価格で協力するとの有難い約束も出来ているのに、全く癪に障る。復興住宅に入る住人は喜んでくれるのにと思うと区長や行政側の態度は尚一層釈然としない。奉仕の精神を現地側ももっと持って欲しいものだ。
 20日、女川港に遅れていたサンマの水揚げが今年初めて有った。(2隻、80トン)幸いにも私も取れたてのサンマを頂き、刺身と塩焼きを肴に一杯やれた。次回、何時、女川に秋刀魚の水揚げがあるのかが判らないくらい今年の秋刀魚の漁獲状況は厳しいらしい。そんなわけです、秋刀魚を好きな人は食べたいときに鮮度の良いものを値段に糸目をつけず食べてください。何時なくなるか分かりません。余計なことかも知れませんが毎月女川の魚市場で魚のプロから話を聞いている私からのアドバイスです。


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私の東日本大震災覚書=其の76(2017.8.7~13)   2017.8.31 [私の東日本大震災支援覚書]

 久し振りに仙台の七夕(8/6~8)を見るため何時もよりも二時間早い8:30新宿発のバスに乗る。仙台駅の案内所で見学のスッポトを聞き一時間位ブラツキ、寿司屋で冷たいビールを飲んだ後、石巻へ向かう。
 震災後東京から持って行き現地に置きっぱなしにしていた車が購入後10年、走行距離10万キロを超し、其の上、地震後の地盤沈下で海水で浸った道を走ったためボロボロになり先月、廃車した。新車は買えないので中古の普通車をボランティアで顔見知りの牧師で車屋の人からボランティア価格で分けてもらう。
 毎月、透析病院へ送り迎えしているお婆さんが肺に水が溜まり石巻日赤病院に入院していると聞く。透析をしている人の合併症は油断できないので東京へ帰って電話したら無事退院したとのこと。来月からは又、病院への送迎の仕事が待っている。
 牡鹿半島は雨、雨、雨の連続。牡蛎の養殖漁師は種の放卵待ち。例年より遅いので気を揉んでいる。女川の魚市場では定置網の漁獲が思わしくなく盛況さを欠いている。もうすぐ始まるサンマ漁の話の中に入るが今年の漁獲状況は昨年より悪いらしい。
 現地もお盆休みになるので8/13帰宅することにする。逆コースなので渋滞に合うとは思ってなかったがとんでもないことになりました。何時もは6時間のところを9時間30分掛かり、ホウホウのていで20:30新宿へ着きました。サンデー毎日の身、急ぐことはないのですが大失敗でした。


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私の東日本大震災覚書=其の75(2017.7.7~18) 2017.7.30 [私の東日本大震災支援覚書]

私の牡鹿半島通いが7/18で通算753日、2年と5日に成りました。
 先月報告するのを忘れたことから書きます。
 牡鹿半島の谷川地区で6月、6年3ヶ月振りに田植えが出来ました。此処へ来るまでには続けるべきか止めるべきか行きつ戻りつヤット取りあえず5軒で田植えを実施。谷川地区は津波で62軒有った家が一軒しか残らず、死者行方不明者が25名出た地区です。
 小渕浜地区では仮設住宅から復興住宅地への移転を終えていた。未だ更地が数ヶ所有る。其処も年末位には移り住めるようだ。
 我が「牡鹿半島を支援する会」ではこの機会に復興住宅への入り口を示す道標を寄贈すべく地区長、市役所、他の方々に相談をしている段階です。単純に寄贈すると言っても設置する土地の地権者の承諾、道標の大きさ、形等々決定すべきことが色々と有り、進みの遅いのにウンザリしているが被災者のためと思い辛抱強く頑張っている。既に東京・武蔵村山市の石材店が協力を申し出てくれているのでノンビリしてるわけには行かない。
 牡鹿半島は日中は東京と同じくらい暑くクーラーの世話に成っているが夜は夜具が必要なくらいの気温です。其処が東京と大きく違い体の消耗が少なく楽です。浜は今が一番ノンビリ出来る時期ですが漁師は働き者で休んでいると返って草臥れると言って渡り蟹、アイナメ、穴子漁他をしている。
 話が福島へ飛びますが7/22、23、原発事故の被災地の楢葉町・宝鏡寺、双葉町・小川宅、、翌日は飯館村・村役場を見学してきました。この学習会は日野・市民自治研究所が企画してくれ23名が参加。私は2011.11.15に広野町の川崎市に本社の有る知合いのプリント基盤製造会社へ慰問に行っていますが、今回のように放射能防御服を着て帰還困難地区の屋内を見るのは初めて。屋内を見て愕然としました6年4ヶ月、時間が止まっていると感じた。私は2011.4.29に牡鹿半島の津波被害の惨状を初めて見て愕然としましたが今回、福島でも同じようなショックを受けました。福島で真っ先に感じたことは此れは人災で宮城、岩手他の天災とは違うと云う事です。此れからの私は福島に何が出来、何をすべきなのかと悩む。取りあえず出来ることは福島の原発の実情を知らせることだと思い此れを書いてます。是非、機会を捜し原発事故の現地を見に行ってください。微力ですが其のための相談ならば受けます。


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私の東日本大震災覚書=其の74(2017.6.4~10)  2017.6.22 [私の東日本大震災支援覚書]

今月の牡鹿半島訪問は他の催しと重なり一週間と少なくなった。


 何時も私が活動の拠点にしている石巻市小渕浜は主産業のわかめ養殖の道具の後片付けもほぼ終わり浜の人影はまばらだった。小渕浜では高台への転居を終え其処で新生活をスタートしている家族が数軒あった。其の家も塀、庭、植木等の工事は未完成の状態です。


 弊会ではこの機会に住宅地への案内石柱(例えば、小渕浜住宅入口等)や住宅地への桜の植樹の寄贈を計画しています。日程的には石柱は直ぐに実施したいと考えています。桜の植樹は高台の移転が完了する今年の12月か来年の1、2月を考えています。ヒョットすると一年伸びるかもしれません。


 皆様には今迄にもご協力を頂いており此処でまたお願いするのはで心苦しいのですがご寄付をお願いする次第です。ご寄付頂いた方のお名前をステンレスの板に記名して石柱や桜の側に置きお礼に代えさせてもらいます。


 石柱は小渕浜が3基、小網倉浜、給分浜各1基の計5基。東京の知合いの

石材店と話しましたら施工込みで1基50万円位かかるそうですが、充分に奉仕価格を出すと好意的に話してくれています。其れでも150万円位は用意しなければと思っています。


 桜の植樹は東京から20名位のボランティアを募り、小渕浜の住宅地に50~100本植えたいと考えています。苗木は八王子の篤志家が寄付してくれると言ってくれています。予算は鹿の防御柵が必要なので100万円位を予定してい。


 ご寄付を頂ける方には私から改めてご連絡を致しますのでメールにてご連絡頂ければ助かります。


 手前勝手なお願いを致しましたが宜しくお願い致します。


 


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私の東日本大震災覚書=其の73(2019.5.14~21)  2019.5.31 [私の東日本大震災支援覚書]

 私の活動拠点・小渕浜のわかめの収穫作業は二軒を除き終わっていた。台揚げ(わかめの設備の碇、ロープ、ブイを養殖場の海から揚げる作業)もほとんどの漁師は終わっていたが収獲作業の終わっていない二軒と養殖場が隣接しているところは台揚げが出来ずカキの種挟み(カキの稚貝が付いたホタテの貝をロープに挟む作業)をしていた。常々思うことですが漁師は良く働く、特に小渕浜の漁師は凄く働きます。養殖漁業は魚を取る漁業と違って漁場が限られ共用するので遅い人がいるとその影響を受けます。
 5月に入って二軒の高台移転が有りました。阿部さん宅は私がお邪魔した時はまだ移転が完全には終わっていませんでしたが立派なホームでした。5月は藪移りに良くないと言って移転してないところが多くあるようで6月に入ればその人達も新築の家へ入ると言ってました。
 女川魚市場で良く顔を会わせていた水産加工会社の社長が見えないので聞くと4月末に60才前なのに癌で亡くなったそうです。急ぎ仏前へ線香を上げに伺う。震災後、癌で亡くなった人に線香をあげるのは4人に成る。


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私の東日本大震災覚書=其の72(2017.4.14~21)  2017.4.29 [私の東日本大震災支援覚書]

 震災後2012年から毎年二回続けてきたわかめ収穫ボランティアの参加者を募ったら15名の応募がありました。今迄中型バスの運転をしてくれた中野さんが昨年の暮れ、重い癌と宣告されていた為、今回は定期の高速バスで行くことにした。バス、宿泊所の手配も終わり、当日を待ちましたが作業日の18日の天気がほぼ100%雨と判り二万五千円の負担をして貰って奉仕活動が出来ないのではと思い会長と相談し断腸の思いで今回の計画を中止にした。私は14日から牡鹿半島へ行きましたが18日だけが天候不良のためわかめの収穫作業は休みでした。17、19日は天気が良く18日だけが悪いとは誠に癪にさわる思いですが中止の判断はベターだったと思ています。応募いただいた優しい方々には衷心より感謝申し上げます。
 わかめの収穫は最終期を迎えています。早い漁師は22日にわかめの刈り取りを終えたそうです。今年のわかめの相場は震災後最高で昨年の倍近くの高値で浜の漁師は大喜び、品質的にも良いそうです。皆様、宮城産のわかめを食べて被災地応援をお願いします。
 私の活動拠点・小渕浜の復興住宅建設も遅まきながら盛りあがりを見せています。被災者の笑い顔を見るのは私の楽しみ一つです。


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